ブラックペッパー(黒子抄)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

カテゴリ: 300回〜

子供の幼稚園は夏休みです。
夏期保育も数える程になりました。
母子ともに幼稚園が大好きなので
寂しい気もしますが
一方では、楽しみでたまりません。

何故なら、普段は幼稚園に通っていて
見えにくい、子供の成長を目の当たりに出来るからです。
特に、夏休みの成長には
著しいものがあります。
親の傍にいると、子供が安定して
大きく成長するのだと実感することの出来る
貴重な時間になります。
子供に、注いだ以上の愛情が
予想もつかない程、大きな成長となり
信じられないような幸福を家族にもたらしてくれます。

どうか子供を授かった方は
こうした親子が心を通わせることの
素晴らしさを、一生懸命感じて下さい。

何も、完璧なことなんてありません。

側にいて、言葉のやりとりをするだけで
子供は本当に満たされていきます。

普段は、親から離れて通園し
我慢をすることも多いでしょう。

沢山の子供達との遊びは
とても大切なことではありますが
その土台になっているのは、やはり親です。
是非プラス転換を上手にして
周囲の人間も親御さんの考えを
プラス転換するように思いやりを持って過ごしてみましょう。

この絵本、実は、大人の方にも
是非!読んでいただきたいと思いました。

昭和の街並みに懐かしさを覚え
のろまなローラーに文句を言いながら
抜かしていった車達が
結局は、のろまなローラーに助けられて
それぞれがお礼を言います。

文句を言われれば気分が悪くなりますよね。
言う方も、心穏やかとは言えません。

でも、最後にのろまなローラーが
お礼を言われるときに
広がる嬉しさは、例えようもありません。

大人なら、なおさらです。
何故なら、自分自身がのろまなローラーですから。
次の世代の為に道を慣らしていくのです。
若い頃は、エネルギーがありあまって
迷惑を掛けてしまいがちですが
特に育児が始まると、次世代のための
地道な地ならしが始まります。

時には、何をやっているんだろうなぁ・・・
こんなことして何になるのだろうなぁ・・・
いつまでたってもモタモタして
結果がなかなか現れてこないなぁ・・・
と、心の中で呟きますが
どっしりと、圧力を掛けて、地面を均していきます。

素敵な、お話ですよ。

読み聞かせをしながら
親自身の生き方も
肯定されているような素敵な本でした。

きっと、子供達も肯定されていると
感じることでしょう。

敬語の好きな方はいらっしゃいますか?

先日、病院の先生と、まるで友達に命令?するかのように
話している小学生がいたので
思わず聞いていると
その母親も、先生に命令するように話していました。

先生は、一瞬間を置いて、冷静に敬語で答えていたので
この先生は、よく出来た人だと感じました。

今日、同じような体験をしました。
図書館で、パソコン端末から
蔵書検索をしようとした時のことです。
「ちょっと、ココ使ってるんだけど。」
と、小学生の女の子に言われてしまいました。

まるでクラスの友達に言うように
それも、つっけんどんに聞こえます。
誰もいなかったため、席が空いているのと
勘違いしたのは私ですが
初対面の大人に敬語を使うことの出来ない子に
図書館という場所柄も手伝って、非常に驚きました。

大人に限らず、初対面の人間と話すときは
少なからず敬語を用いるべきだと思うのは
大人だけの古い考えでしょうか?
私自身は敬語を使うようにしているので
このような場面に出くわすと
何故、敬語を使わないのかが分かりません。

敬語という「日本語」を適切に使うことの出来ない子に
本当に悲しい気持ちになってしまいます。
英語にも、丁寧な言い回しは存在します。
敬語を使う心を理解できない場合
英語で敬意を表現することが出来るのでしょうか?

成功者と言われる方の殆どは、敬意の示し方が
とても上手だと感じます。

また、相手に敬意を示すだけではありません。
敬語は、私達自身を助けてくれます。
良い波動の出ている素敵な言葉です。
良い波動を持つ、仲間を呼び寄せてくれます。
良い魂は、良い魂と結びつきます。

特に、これからは人間としての質が大切な時代です。

敬語には、よそよそしいイメージもあるかもしれませんが
素晴らしいと思われている人間は
やはり敬語を上手に使い分けている気がします。

気付いた時で結構ですので
せめて、初対面の目上の方に対してだけは
敬語を使うように心掛けてみて下さい。
「です」「ます」を語尾に付けるだけでも結構です。
使わないよりもマシです。
「いらっしゃる」「召し上がる」
「ご覧になる」
など
「来る」「食べる」「見る」を丁寧に変化させれば
相手も気を良くします。
「拝見させていただきます」
「申しております」
これは、自分が謙る言葉です。
特に、「おります」という表現は
見落としがちですので
相手もハッとします。
ただし、「おられる」とは言いませんので
ご注意ください。

日本語には、言葉で褒めたたえるよりも
敬語という、ずっと効果的な表現が存在しているのです。

日本で敬語を使うことが出来れば
どこの国の方とも、懇親になれると思います。

言葉は表面的なことしか伝えられませんが
心は、ダイレクトに深いところまで
結びつくことも出来るからです。

敬語は心を育てます。

子供の頃に図書館で借りて
未だに覚えている大好きな絵本です。

「とんち」で鬼をやっつけてしまう
小気味良いテンポのお話です。

お話をじっくりと聴くことが出来るようになった
お子様にいかがでしょうか。

子供達には、沢山の日本語を聞かせてあげたいですね。

絵本の言葉を沢山頭の中にインプットしてあげて下さい。
言葉やイメージが、絶えず湧き出て
とても楽しい人生を送ることが出来ます。
また、敬語で悩むことも少なくなります。

私は、絵本を沢山読んでもらった方だと思います。
こうして毎日コラムを書かせていただいて
楽しいと感じられるのは
そのお蔭だと本当に有難く思っております。

「人生は楽しい方がよい」
そんな風に取り計らって、育てられたので
・・・楽しいことしか知りません。
嫌なことがあっても、やっぱり楽しいことを
追い求めて楽しく生きているのです。

だんだん、話が逸れていきますが
そんな私の母は
「人生は重き荷物をしょいて
 遠き坂道を行くがごとし」
と、度たび自分自身に言い聞かせていたそうです。
意外でした。

その言葉は、祖父から言われたそうです。
ちなみに、徳川家康の言葉です。

私が毎日コラムを書いている行為は
「遠き坂道を行くがごとし」地道な作業です。
でも、文章を書くことが大好きで良かったです。
つまり、絵本を沢山読んでもらったことに感謝しています。

日食のとき、私は何をしていたかといえば
家庭訪問の為に
コマコマと瓶の蓋の上の埃や
テレビの裏の埃を拭いていました。
何しろ、厚い雲が空を覆っています。

これって、メッセージだと感じた方いらっしゃいますよね。
もっとも、メッセージだと感じているのは
私の勝手な思い込みで
ただ単に、自然現象から個人的な経験により
学びとっているだけということになりますが
その辺りは、都合良く考えて
さらに大げさに
「天照大御神からのメッセージ」と言ってしまいましょう。

一番体感されたのは、悪石島で観測されていた方では
ないでしょうか?
天候が悪い上に、突然の真っ暗闇です。
人間の無力さをヒシヒシと感じられたことでしょう。
また、人は困難な状況下に置かれると
団結心が生まれます。
人と人が助け合う大切さを痛感させられたことでしょう。

逆に、天候に恵まれた方は
本当に幸運でしたね。
それぞれが記念すべき、皆既日食となったはずです。

私は、上海の映像と、硫黄島と船上の映像を
見ることが出来ました。

自宅近辺では、観測している人を見かけなかったので
外に出ても見えないだろうと思いながらも
試しに、出てみたら
小さいお子さんを連れた方がいらっしゃって
すぐに黒いグラスを貸してくださいました。
覗いてみると
!!!
「ウワァ~!!本当に三日月みたいになっているっ」
1人で大歓声を上げてしまいました。
そして、時折薄い雲がかかり
裸眼でも、その様子を見ることができました。
(裸眼は危険行為なので真似しないで下さい。)
チョットダケヨ・・・なんて
チラリと見ただけですよ。思わず。ホホホ

さて、下から見上げて太陽を見たのは
そんな短い時間だけでした。

ここで、少し戻って日食中のことを書かせていただきます。
曇の為、鏡に反射出来るようなレベルでも無く
小さな穴からの光を見られるレベルでも無く
日食に入る瞬間の、影のバイブレーションも
見られません。
では、どうしましょう・・・
それならば、感覚を研ぎ澄ますしかありません。
それが、日本での皆既日食の時間が近づくや否や
すぅー・・・と冷たい風が吹き始め
にわかに涼しくなります。
さらに、うす暗くなり
ハム助とハム子が、夕方のように活発に走り始めました。
月の影が地球上を、物凄い早さで
駆け抜けていくのが分かりました。

さてさて、一番印象に残った思いは
温暖化が抑制されるよ・・・・でした。
涼しくて、快適でしたもの。
毎日来てほしいくらいです。

そして、日食が終わると
何だか眠気に襲われてしまったのでした。
野性的!(・・・原始的?)人間も動物!!

そういえば、日食の時に吹いてきた
ひんやりとした風は
幼稚園の園庭を吹き抜ける風と一緒でした。
近くに山もあり、木蔭を縫って
田畑を吹きわけてくる、とても涼しい風です。

へその緒が切れるように
今にも、自然から離れてしまおうとする人類ですが
この日食が、繋ぎ止めてくれたように感じます。
バカンスやレジャーとしての日食も
生きがいとして大切ですが
全世界の夢とロマン、そして未来への希望を
持ち続けられるように、万物の幸せのために
生きられるきっかけになると良いですね。

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